浜松の「walk and talk」に再び呼んでいただきました!今回は暗渠を潜るツアーのガイドです。
浜松市で市街地に増え続けている空き家をどうにか活用したいと活動されている(株)浜松家守舎キュウさんにお呼びいただき、昨年夏に浜松市の新川沿いを歩いたvol,04に続き、4月12日(土)に、Walk and Talk vol.6「新川アンダーグラウンドを覗いて歩いて話してみよう」にゲストとして参加しました。暗渠を潜り、その後のトークイベントでお話しさせていただきました。
今回の記事は、九州で川の研究を行いながらONE RIVERの活動にも関わっている五三さんに、当日の様子と五三さんなりの暗渠の楽しみ方や考察をまとめていただきました。ぜひお読みください。(石原空子)
*************************************************
4/12(土)、私たちは、総勢15名ほどの仲間と、暗渠に入る好機を得ました。
暗渠とは、地中に埋設したり、フタをかけたりした水路のことです。日本の都市を流れる中小河川は、戦後の急速な人口増加の煽りをうけて、その多くが暗渠になりました。もともと川が流れていた場所には、道路や公園が整備されており、そこがかつて川であったことは近隣の人からも忘れ去られています。
浜松駅のすぐそばを流れている新川も、そんな暗渠のひとつです。新川が最初に暗渠化されたのは1960年代の前半、目的は駐車場の整備でした。高密な都市の中で、新川は土地利用を阻害する邪魔者として扱われたのです。その後1980年代には、遠州鉄道を高架化のためにさらに暗渠化が進められ、現在では約1 kmほどの区間が暗渠となっています。
「暗渠に入りませんか?」と声をかけてくださったのは、浜松で空き家再生に取り組む「株式会社浜松家守舎キュウ」のみなさん。自分たちが活動を繰り広げるエリアに流れている新川の魅力を一緒に探求できないか?というお誘いでした。
もともと暗渠が好きな私にとって、それより嬉しいお誘いはないので、当然喜んで参加することになったのですが、正直、「そんな面白いイベントにならないのではないか?」という不安もありました。1 km、ただ暗い中を、しかも水が流れる中を歩くなんて、疲れるだけで楽しいものではないだろう、という先入観がありました。
しかし実際には、とても楽しい時間を過ごすことができました。
まず、いろいろな生き物がいました。ユスリカといった水生昆虫や、カニやエビなどの甲殻類、カマツカのような底生動物(川底に生息する昆虫など)を捕食する魚類、さらには誰もが名前を知るナマズやウナギまで。どれも決して珍しい生き物ではなかったようですが、さまざまな種類の生き物を観察できました。都市の中を流れる川は、たとえフタをされていたとしても、生き物にとって大変貴重な自然資源であったのです。
さらに、暗渠の中からは決して見えないはずの地上の様子が、かなり想像できることもわかりました。例えば、地上が道路になっている箇所には、橋を支えるための梁が入っています。工事の時に記したと思われる部材の番号も残っていました。また地上に降った雨が道路から溢れないように川へ排水するための水路や、さらには街路樹の根っこがコンクリートを食い破って出てきているのではないかと思われる場所もありました。
もちろん暗渠は、開かれた川と比べて、「居心地のいい場所」では決してありません。それはきっと昆虫や魚などの他の生き物たちにとっても同じでしょう。多くの都市で暗渠化を進めてきた私たち日本人の歴史は、川の多面的な価値に目を向けられなかった、環境を大切にできなかったという意味で、反省すべき点が多いことも間違いありません。
それでも暗渠には、暗渠だからこそできる楽しみ方もあるなと思うのです。
第一に、暗渠は戦後の都市開発史を今に伝える文化遺産とみることができます。ブラックボックスになっている都市のインフラが、どのように成り立っているのか、その片鱗を感じ取ることはできます。最近、全国の道路が陥没しています。地下の世界を見ないようにして過ごしてきたツケが、現れているのです。暗渠は、私たちの暮らしを支えるインフラの未来を考える貴重なきっかけを提供しています。
さらに暗渠は、その字の示す通りの「暗い」空間です。陽が当たる表の世界から隔絶された、もう一つの裏世界。アメリカのシアトルには、アンダーグラウンドツアーというものがあります。1889年に起きた大火災をきっかけに現在は地中に埋められてしまったかつてのまちを辿るという、人気の観光ツアーです。地下には、私たちの想像力を掻き立てる独特の気配と魅力があるのでしょう。私は勝手に、ディズニーランドのアトラクション、例えばカリブの海賊に似ているなと想起しました。もしここがディズニーのアトラクションだったら、きっと途中で「ゴロゴロ」というような音が聞こえてきて、雨が来るぞ逃げろ、という演出がされそうだなとか。そんな妄想が、早速頭の中を渦巻いています。
あの日私たちは、和やかな陽気に包まれた土曜の浜松で、陽の光から最も遠いところにいました。光の当たらない世界に目が慣れるには時間がかかります。何度も足を運び、議論をしながら、新川という暗渠のもつ意味を考えていく。根気が問われる終わりなき旅の幕開けに、興奮しています。(五三裕太)